かつて「見た目より中身が大切だ」という価値観が重視されていた時代があった。
しかし現代において、その理念はSNSの普及によって揺らぎつつある。誰もがスマートフォン一つで発信者になれる今、美しさや華やかさを可視化し、他人と比較する土壌が日常の風景となった。
そしてそれが、ルッキズム(外見至上主義)の加速に拍車をかけている。

ルッキズムとは、見た目によってその人の価値や能力を判断する偏った価値観である。
本来、外見は個性の一部でしかなく、誰もが違って当然のはずだ。しかし、SNSというプラットフォームの特性上、「美しさ」や「映え」を切り取って発信する投稿が目立ち、注目を集める。
フィルターや加工アプリによって理想的な顔や体型が拡散され、それを「正解」として模倣する風潮が生まれている。

特に若者世代において、この影響は深刻だ。
SNSのタイムラインを眺めれば、自分よりスタイルが良い人、肌が綺麗な人、顔立ちの整った人たちの写真が絶えず流れてくる。見れば見るほど、自分との差異に気づかされ、自信を失っていく。さらに、投稿についた「いいね」の数が、まるでその人自身の価値を数値化しているかのように錯覚させる。
「いいねがたくさんつく=自分は認められている」
「誰にも反応されない=自分には魅力がない」

そんな単純な図式で自己評価をしてしまう若者が増えている。
学校や家庭よりも、SNS上の反応が自己の存在意義を左右するような錯覚に囚われ、自分の価値を外部に委ねてしまうのだ。

しかし、他人の称賛や評価というものは、あくまで一時的なものに過ぎない。
他人の「いいね」は、自分がその人の価値を認めた証であって、その人自身の本質を測るものではない。むしろ、他人の評価によって自分の価値を決めてしまうということは、自分という存在を他人の手に委ねてしまうことに等しい。

本当に大切なのは、他人の視線ではなく、自分自身の視線である。
他人がどう思おうと、自分が「自分には価値がある」と信じることが、揺るがぬ自己肯定感の礎となる。
見た目や外的な評価にとらわれることなく、「自分という存在が、ただここにあるだけで十分だ」と思える強さが、これからの時代にはより一層求められていくだろう。

そのためには、時には「距離を置く」という選択も必要である。
SNSは便利で楽しいツールである一方、常に誰かと比較し続けなければならない環境でもある。
自分の心が疲れていると感じたとき、SNSから一時的にでも離れてみることは決して逃げではない。むしろ、情報の渦から一歩引いて、自分自身と静かに向き合う時間を持つことは、自己を回復させるための重要な手段だ。

SNSの海に漂い続けるだけでは、真の自分を見失ってしまうかもしれない。
他人の目から自由になり、他人の価値観に左右されない生き方を選ぶ勇気を持つこと。
誰かの「いいね」ではなく、自分の中にある「私は私でいい」という実感こそが、本当の意味で人を救うのではないだろうか。

確かに、美しいことは時に強さとなる。
だが、それはあくまで一面に過ぎない。
見た目を磨くことも否定すべきではないが、それが全てになってしまったとき、人は簡単に崩れてしまう。
大切なのは、内面からにじみ出る自分らしさを大切にし、それを自分自身が認めてあげることだ。

SNSが当たり前の時代に生きる私たちにとって、ルッキズムに抗うことは容易ではない。
だが、だからこそ意識的に「自分で自分を肯定する」という姿勢を育んでいく必要がある。
他人の評価に振り回されるのではなく、自分自身を信じ、認める力。
それこそが、SNS社会を生き抜くための本当の武器なのではないだろうか。
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うみの ぽめ
普段は水産企業に勤める傍ら、プライベートの活動にて水産普及・魚食普及を兼ねたメイドとしてのお給仕をしております。
主に国産の水産物を使用した、気軽に魚食を楽しめる×サブカルチャー的萌え要素を掛け合わせた空間の提供を目指しております。
写真 / 松永奈々