島根県雲南市に「もののけ姫」に登場するタタラ場のモデルとなった場所があると知り。
一路島根へ行った記録の続編です。
前回はこちら

旅程

1日目:出雲縁結び空港〜鉄の歴史博物館〜山内生活伝承館〜菅谷たたら山内〜たたらのいえ〜たたらと刀剣館

2日目:美保神社〜美保関灯台〜古代鉄歌謡館〜須賀神社〜須賀神社 奥宮〜ホーランエンヤ伝承館〜松江城〜宍道湖

3日目:石見銀山 世界遺産センター〜龍源寺間歩〜石見銀山資料館〜羅漢寺 五百羅漢〜さんべ縄文の森ミュージアム〜三瓶自然館サヒメル〜出雲縁結び空港

雪が降ると白線は見えない

山内生活伝承館から、高殿の方まで歩いて行けそうな道があったけど、修繕が必要なようで。道は閉ざされていた。
雪もまたちらつき始めたので、車で向かうことにする。

高殿までは5分もかからなかった。が、車をどこに停めたら良いのかわからない。
のろのろと一本道を進んでいくと、古民家のガラス窓の向こうにちらと人影が見えた。
受付所であった。

タタラ製鉄を語り継ぐ人

引き戸から中に入ると、暖かそうな事務室らしき部屋から、係の方が出迎えてくれた。
見学料を支払うと、どうやら案内をしてもらえるらしい。「田部」という名札の男性がこちらへ降りてきてくれた。

もしや先ほど鉄の博物館で知った鉄師「田部家」の!と思い、このときは”たべ”と読むと思っていたので「たべさんってあのたべさんですか?」と聞いてみると。
まずは”たなべ”と読むことを優しく教えてくれたあとに、遠い親戚だと仰っていた。

いざ、高殿に向かう。

菅谷たたら山内 菅谷高殿

菅谷高殿は、1751年から170年間。大正10年にその火が消えるまで操業していたという。
たたら製鉄が終焉を迎えてからは、戦時中に鉄が不足して一時的に操業をしたこともあったが、長らくは木炭を保管する倉庫として使われていたそう。

そうして使われていたおかげで、ここが今もなお現存する唯一の高殿となっている。

菅谷たたら山内 菅谷高殿

その高殿に実際に足を踏み入れ、高い天井の下。
内部は、炉や働いていた人たちの休む場所など、当時の高殿の様子が復元されている。

菅谷たたら山内 菅谷高殿

田部さんは時折講談のような話口調で、臨場感たっぷりに高殿のことや山内のこと、タタラ製鉄のことをお話してくださった。
その上、質問にも分かりやすく答えてもらい。

菅谷たたら山内 菅谷高殿

鉄の博物館で映像を見て、展示資料を見て、ここでお話を聞いて。
ようやく「タタラ製鉄」とはどういうことだったのか、イメージが掴めたような気がしました。

金屋子神(かなやごのかみ)

高殿の側にはたいてい、桂(かつら)の木がある。
江戸時代のたたらを探すときには、まず目印にこの木を探したという人もいるとか。

菅谷たたら山内 菅谷高殿と桂の木

桂の木は、たたら製鉄の神様・金屋子神(かなやごのかみ)がシラサギにのって降臨されたとされる木。

この金屋子神は女神様。
あまり見た目が美しくはなく、焼きもちやきの気難しい神様だったそうで。
そのため、たたら場は女人禁制。その上、たたらの操業中、家で帰りを待つ奥さんたちは化粧もせず過ごしたそうです。

映画「もののけ姫」では、女性たちがたたらを踏んでいた。
村の男は「でもなぁタタラ場に女がいるなんてなぁ。ふつうは鉄を汚すってそりゃ嫌がるもんだ」と言う。

エボシ御前が”掟もタタリもヘッチャラ”な人だということや、女性の一人が「紅(べに)もさす?」と冗談のように言う台詞も、金屋子神の掟のことが含まれていたのかもしれない。

村下(むらげ)の目に映る色は

村下だけが通ることを許されたという高殿への「村下坂」。

たたら製鉄の一回の作業を「一代」(ひとよ)と呼ぶことは前回書いた。

一代のすべてを取り仕切る長は「村下(むらげ)」と呼ばれ、その仕事は代々、秘伝として受け継がれてきたと言う。

炉を作るところから、砂鉄を入れるタイミングや量、木炭を入れるタイミングや量。
どうすれば良い鉧(けら)が取り出せるか。マニュアルなどはない。

火の色を見て、夕焼け色になったら。朝焼けの色になったら。
覗いて見ることはできない炉の中を、炎の色や大きさ、風の音、出てくるノロ(鉄滓=てっさい、溶けて分離した鉄以外の鉱石の成分。不要な不純物。)から見ること。村下だけが知る技だ。

高殿内で砂鉄を置く「小鉄町(こがねまち)」

1969年のたたら操業復元に協力したのは、4人の村下たち。
その様子は「和剛風土記」という映像に記録され、鉄の博物館で見ることができた。

彼らははじめのうち、なかなか打ち解けることができなかったらしい。
決して人に伝えてはいけない秘伝だったのだから、無理もない。

しかし、たたらの火が消えてから48年。
マニュアルもない村下の仕事、その技を後世に残せるのはそれぞれ高齢になりつつある彼らだけだった。

次第に4人は協力し合い、たたら操業の復元を成し遂げたことは言うまでもない。

たたらを踏むということ

たたら製鉄には、1,400度の火とその火を燃やし続ける風も欠かせない。
その火のすぐそばで、その火を見ながら仕事をするとはどういうことだろうか。

もし現代でそんな火を使う仕事があったなら、防護服であったりゴーグルであったり、身体を守るものは欠かせない。
されど当時、そんなものはなく。だんだん視力が悪くなり、やがて失明してしまう人もいたそうです。

火に風を送るために、長らく使われていたのは天秤鞴(てんびんふいご)や踏鞴(ふみふいご)。
板を踏んで、風を送る仕組みになっている。

たたらと刀剣館の天秤鞴(復元)

「もののけ姫」の女達が踏んでいたのはこの板で、映画では”四日五晩(よっかいつばん)踏み抜くんだ”と言っていた。

番子(ばんこ)と呼ばれたこの人たちの仕事は、約70時間の操業の間、片時も休まずに炉内に風を送り続けること。

ちなみに番子は3人1組で、1時間踏んで2時間休憩という交代作業を行なったそうで。
これが「かわりばんこ」という言葉の起源になったとか!

しかしやはりその仕事の過酷さから、番子は人不足となり。解決策として水車で動く水車鞴ができたそうです。

桂の木と水車

高殿を出ると雪は強くなっていて、いつのまにか屋根がうっすら白くなっていた。

田部さんに御礼を言って別れ、菅谷たたらを後にする。

たたら場のあるところには、桂の木があり、鉄池(かないけ)があり、水車もある。
雪の中を次に辿り着いた奥出雲で見たのは、まさしくそんな風景だった。

たたらのいえ

次回へ続きます。